2014年9月5日金曜日

自虐の詩を読んで

わざわざブログに書き留めるほど
気に入ったわけではないんだけど

前回の投稿で
機会仕掛けの愛
を読んで業田さんの作品を初めて読んだら

妹に自虐の詩の方が
もっとえぐられて感動するよ

という勧めで読んだ。


結論からいうと
私は機械仕掛けの愛
の方が感動した。

妹と
同じ遺伝子を持っているの
同じ環境で育ったのに
こんなにも感じ方が違うものかと思い
少し考察してみた。



※以下ネタバレ有※

妹の「えぐられるよ」
は心に響くというように解釈した場合

私にはこの本の主人幸江さんが
なんだか身近に感じられてそこまで
驚きがないというか・・・

いや!
こんな幸江さんほどの苦労なんかしてませんよ?w

してませんけど

なんだろう・・・
主人公が経験していることが
そこまで自分からかけ離れてるようには感じなくて
特別なことのように感じなくて・・・

いや!中学の頃から新聞配達とかしてないけどね!?w

私自身はいたって心身ともに健康なつもりなんだけど
幼少期・思春期を振り返ると
情緒不安定な子とか結構いたな~
って思いだしながら淡々と読めた。

(私、自分が思うより精神やばいのかな!?
類ともっていうよね!?w
そこの認識ずれてるのか不安になってきたw)


だから幸江さんってそこまで特別な存在じゃなくて

確かに下巻の終盤にかけて畳み掛ける感じは感動した。

ただ、落ちがね。

子供ができて自分の生きる意味がわかる
という落ちがさ

どうもね
しっくりこないというか

いや、
こういう落ちしかないんだよ
落としどころとしては

たださ
じゃあ子供ができないこういう境遇の人は
一生抜け出せないのかな?
なんて思ってしまうと
ちょっとこの落ちが良くは見えなくなってしまうのよ。


そして私自身が出産で人生観変わった
という経験がないからかな

淡々と出産したぜw

その前に自己が確立されていたからかもしれないけど・・・
それか私が鈍くて・・・子供が成長して・・・
独り立ちした頃にわかるようになるのかな・・・
にぶいな俺・・・w

最後に、
最後の幸江さんのお手紙

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前略 おかあちゃん。

この世には幸も不幸もないのかも知れません。
何かを得ると、必ず何か失う物がある。
何かを捨てると、必ず何か得るものがある。

たったひとつのかけがいのないもの、
大切な物を失った時はどうでしょう?

私たちは泣き叫んだり立ちすくんだり・・
でもそれが幸や不幸ではかれるものでしょうか?

かけがいのない物を失うことは、
かけがいのない物を真に、そして永遠に手に入れること!

私は幼い頃、あなたの愛を失いました。
私は死にものぐるいで求めました、求め続けました。

私は愛されたかった。

でもそれがこんなところで、
自分の心の中で見つけるなんて。

ずっと握りしめていた手のひらを開くとそこにあった。
そんな感じで。

おかあちゃん、これからは何が起きても怖くありません。
勇気がわいています。

この人生を二度と幸や不幸ではかりません。

なんと言うことでしょう。
人生には意味があるだけです。

ただ人生の厳粛な意味を噛みしめていけばいい。
勇気がわいてきます。

おかあちゃん、いつか会いたい。

そしておかあちゃん、
いつもあなたをお慕い申しております。

追伸、私にももうすぐ赤ちゃんが生まれます。


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やっぱり泣けるかも。

でも大絶賛ではないぜ←

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